私はこれまで愛犬を2度見送っています。子供の頃に可愛がっていた犬は、私が学校に行っているうちに死んでしまい、祖父と父が私に知られないように埋葬したようです。帰宅した私には、どうしても欲しいという人がいたのでその人に譲った、と言いました。多分大人の考えでは、私がまだ生き物が死ぬという事実をちゃんと受け止められないだろうと考えたのでしょう。したがってこの犬は私は見送った数には入っていません。
自分で家庭を持つようになり、最初に飼ったのはミニチュアダックスフントでした。人にもよく慣れたうえ躾も受け入れて、好ましい家庭犬でした。途中で脊椎のがんになり、半身不随の闘病生活は私たち夫婦の介護で支えました。この犬が死んだ時には、近隣の愛犬家たちが花を手向けてくれて、私たちはとても嬉しく思いました。ささやかながら愛犬の葬儀ができた訳です。しかしいざ荼毘に付すとなると、市営の火葬場に持っていくのだと知りました。行ってみると人の遺体を搬入するところから脇の通路に通され、犬の体重を量って料金が決められました。グラムいくらの火葬という訳です。そして他の動物と一緒に焼かれるというのが不憫になりました。でもこれは仕方がありません。
次の犬は、13歳で死にました。今回も近隣の愛犬家たちが、中には犬も連れてお悔やみに来てくれました。そして前回同様に花を手向け、犬用のガムなども供えてくれ、葬儀ができました。十年以上も経過していたから、飼い主も年を取ったし犬も代替わりしていました。今回は同じところで焼かれるのは厭だと思い、市外地にある農家が営む動物用の焼却施設に依頼しました。その農家では何頭もの大型犬をペットとして飼育しているので、犬を亡くされた気持ちは良く分かりますと応じてくれました。丁寧に焼かれ、遺骨を自宅に持ち帰りました。
何歳になっても犬を見送るのは心が痛みますが、また新しい犬を飼うを検討しています。犬の死を辛く思う気持ちを癒すのは、なんといっても新しい子犬を迎えることです。